NBA

アレン・アイバーソンの歴史をまとめました

こんにちはフロメです。

今回はアレン・アイバーソンのプロフィールや功績を紹介しながら

彼がNBAに残した歴史を振り返りたいと思います。

 

アレン・アイバーソンのプロフィール

本名:アレン・イザイル・アイバーソン
ニックネーム:AI、ジ・アンサー
生年月日:1975年6月7日
身長・体重:183㎝ 75㎏(現役時)
出身地:バージニア州ハンプトン
出身大学:ジョージタウン大学
出身高校:ベゼル高
ドラフト:1996年1巡目1位(フィラデルフィア・76ers)

受賞歴

オリンピック銅メダル:2004(アテネ)
シーズンMVP:2001
オールスターMVP:2001、2005
新人王:1997
オールNBA1stチーム:1999、2001、2005
オールNBA2ndチーム:2000、2002、2003
オールNBA3rdチーム:2006
オールルーキー1stチーム:1997
月間MVP:4回
月間新人MVP:2回
週間MVP:23回
1試合最多得点:60点(2005年2月12日マジック戦)
1試合最多アシスト:16本(2005年4月14日ヒート戦)
1試合最多リバウンド:11本(2001年3月30日ウォリアーズ戦)
1試合最多スティール:9本(2002年12月20日レイカーズ戦他)
1試合最多ブロック:3本(1998年4月17日ブルズ戦)
1試合最多出場時間:56:31(2007年12月20日ロケッツ戦)

生い立ちについて

1975年バージニア州ハンプトンで生まれたアレン・アイバーソン。

父アレン・ブロートンと母アン・アイバーソンの間に生まれ父の名前アレンをつけられました。

父ブロートンは逮捕されアンはマイケル・フリーマンと再婚するも彼も逮捕されてしまいます。

当時15歳だった母の手によって育てられたアイバーソンでしたが一時期は水道や電気が使えないような生活も送ったそうです。

育った街の治安も悪く8歳の頃に初めて殺人を目撃し16歳の時には目の前で親友が刺殺されてしまった程でした。

昔の仲間について「死んでいるか刑務所にいるか家でぶらぶらしているか」とアイバーソンも語っています。

平和な日本で暮らしている我々にとっては想像もできない環境で育っていったのですね。
こんな環境からNBA選手になった彼だからこそ多くの人に尊敬され愛されているのだと思います。

高校時代

高校は地元バージニア州のベセル高校に入学したアイバーソン。
バスケットボールとアメリカンフットボールを掛け持ちしており両方で州のチャンピオンに導くという快挙を達成します。

バスケの才能だけではなくNFLを選ぶ才能までアイバーソンにはありました。
バスケットボールをソフトなスポーツと感じており当初はNFL選手を目指していたということですが身長が低い事を理由にバスケットボールに専念する事を決めたそうです。(バスケも身長大事ですが)

大学は名門ケンタッキー大学に進学する事でほとんど決まっていました。

しかし、1993年2月13日に地元のボウリング場で白人グループとの50人規模の乱闘騒ぎに巻き込まれてしまいます。
短い映像ですが以下の動画で乱闘の様子が分かります。

アイバーソンはこの乱闘に加わっていなかったと主張しますが彼が投げた椅子が白人女性の頭に当たり6針を縫う怪我を負わせてしまったとし有罪判決(懲役15年、執行猶予で10年)の実刑が言い渡されました。

全米でも有名な高校バスケットボール選手の逮捕がニュースで報じられると、逮捕者が黒人のみということもあり人種差別問題へと発展します。

保釈活動が行われアイバーソンは刑務所で4カ月過ごした後、黒人州知事の恩赦により保釈されました。

大学時代

 

この投稿をInstagramで見る

 

Allen Iverson(@theofficialai3)がシェアした投稿

まとまっていたケンタッキー大学との話も白紙となり、前科持ちのアイバーソンを欲しがる大学は無くなってしまいましたが、唯一ジョージタウン大学のコーチジョン・トンプソンだけが彼に手を差し伸べました。

2020年に残念ながらコーチトンプソンは亡くなりましたがアイバーソンにとっては言葉で表せないほど大きな存在だったに違いありません。

1994年、無事ジョージタウン大学に入れたアイバーソンはバスケットボールの才能を思う存分発揮します。

平均20.4得点3.3リバウンド4.5アシストを記録しビッグイーストカンファレンスの新人王と最優秀守備選手賞に輝きました。

大学2年生になると平均25.0得点3.8リバウンド4.7アシストと成績を伸ばし2年連続で最優秀守備選手賞を獲得します。

またこの年は日本で行われたユニバーシアードにアメリカ代表として来日しチームを優勝に導きました。

大学2年生終了後、家計の為にNBAドラフトへアーリーエントリーを宣言します。

NBAキャリアスタート

 

この投稿をInstagramで見る

 

Allen Iverson(@theofficialai3)がシェアした投稿

1996年6月にフィラデルフィア76ersにドラフト1巡目1位で指名されNBA入りを果たしたアイバーソン。

後にNBAファイナルへ進んだ際に「今が一番嬉しいのでは?」と聞かれたアイバーソンは「一番嬉しかったのはドラフトの時」と答える程、この時は彼の人生が大きく変わった日となりました。

NBAに入りすぐにバスケットボールの能力の高さを証明したアイバーソンはオールスタールーキーゲームでMVPを獲得すると新人歴代台帳記録となる5試合連続40点以上を記録し新人王を獲得します。1996年のドラフト同期には後のスーパースターが多く存在し、その中でドラフト1位と新人王を獲得してしまうのは本当に凄いことですね。

当時の76ersはドラフトでステファン・マーブリーとアイバーソンで迷っていたようですがアイバーソンを指名し76ersにもたらした利益は計り知れないものがありますね。

1997年8月アイバーソンはスピード違反で車を停車した際に車内にマリファナと拳銃が押収されてしまいます。100時間の社会奉仕活動と3年間の執行猶予で、彼の記録は抹消されました。内容が日本だったら大問題なエピソードですね。

ラリー・ブラウンがHCに就任

 

この投稿をInstagramで見る

 

Allen Iverson(@theofficialai3)がシェアした投稿


HCがラリー・ブラウンに変わるとアイバーソンの得点能力を活かすためSGへポジションをコンバートします。彼の得点能力については以下の記事を参照してください。

アイバーソンが身長183㎝でも得点王を取れた理由

3年目には平均得点が22.0から26.8まで上昇し自身初の得点王を獲得しチームもプレーオフに進出しますがカンファレンス準決勝でインディアナ・ペイサーズにスイープ負けをしてしまいます。

4年目のシーズンにはオールスターに初出場しますが厳格で規律を重んじるラリー・ブラウンとアイバーソンの価値観は合わず関係が悪化していきます。実際トレードの話は出ていたそうですが実現には至らなかったそうです。

2000年にはアイバーソンのラップアルバムが制作されましたがゲイや女性を差別する内容が問題視され発売中止となっています。

NBAファイナルへ進出しアイバーソン人気が爆発

 

この投稿をInstagramで見る

 

Allen Iverson(@theofficialai3)がシェアした投稿

2000-01シーズンにオールスターMVP、シーズンMVP、得点王を獲得しチームも56勝26敗とイースタンカンファレンス1位になります。

プレーオフ初戦ではインディアナ・ペイサーズを下しリベンジを果たします。
2回戦3回戦共に第7戦へもつれる大接戦となりますが76ersが粘り勝ちしNBAファイナルへ駒を進めます。

ファイナルの相手はNBA史上でも最高のチームの1つと語り継がれるロサンゼルス・レイカーズ。
シクサーズは1勝もできずに敗れると多くNBAファンが思っていましたがアイバーソンの活躍により唯一の黒星をつけました。

その後4連敗し優勝は逃しましたが、この時のアレンアイバーソンの人気は最高潮まで高まっておりマイケルジョーダンがNBA人気に火をつけた時に近いものがありました。

コートの外ではヒップホップ系のファッションで、コートの中ではシューティングスリーブやサイズの大きいジャージで若者の心を掴みました。シクサーズのジャージも本当にカッコよく街中で着ている人も多く見かけましたね。

2001シーズン以降

しかし2000-01シーズンが最初で最後のNBAファイナルとなり翌年はプレーオフ1回戦敗退。

2002年7月に従兄弟の押し入り住人2人を拳銃で脅した容疑と妻への暴行容疑で逮捕されてしまいます。この時の報道では最大で54年の懲役の可能性がありましたが告訴は取り下げられ無罪となります。

2003年にはHCであるラリー・ブラウンが辞任。
翌シーズンはアイバーソンの怪我もありチームもプレーオフを逃し優勝争いをするチームではなくなっていまいます。

オリンピックでは金メダルを間違いなしと思われていましたが銅メダルに終わってしまいます。

2005-06シーズンには自己最高となる平均33.0得点を記録しますがチームはプレーオフを逃します。

2006年12月19日シクサーズはアンドレ・ミラー獲得の為デンバー・ナゲッツへアイバーソンをトレードします。

 

この投稿をInstagramで見る

 

Allen Iverson(@theofficialai3)がシェアした投稿

ナゲッツではカーメロ・アンソニーとのコンビで注目を集めます。二人ともカッコいですね。しかし高得点を記録するものの優勝争いのチームとしては期待されることはありませんでした。

2008年11月4日ナゲッツはチャンシー・ビラップス獲得の為、アイバーソンをピストンズへトレードします。ピストンズでは首脳陣との意見が合わず衝突しチームを去ります。

2009年9月10日グリズリーズと契約しますが起用法についてHCと衝突します。3試合に出場し11月16日に退団となります。

2009年12月2日76ersと契約を結び復帰を果たします。平均13.9得点3.0リバウンド4.1アシストを記録しますが3月2日に個人的な理由でチームを去ります。

その後はNBAに戻る事はなくトルコリーグで10試合出場。

2013年10月30日アイバーソンは正式に引退を表明しました。

2014年3月1日76ersはアイバーソンの背番号3を永久欠番とします。

 

この投稿をInstagramで見る

 

Allen Iverson(@theofficialai3)がシェアした投稿

2016年9月9日バスケットボール殿堂入りを果たします。

まとめ

とても波乱万丈な内容でしたが個人的にアイバーソンのNBA選手としての評価は凄く高いです。

確かにコービー・ブライアントのようにバスケットボールだけに人生を捧げたという印象はありませんがとてつもない才能がありました。

そして才能だけではなく多くの人の心を動かくしてきたという事実があるから愛されているのだなと。

得点王は毎年生まれますがアイバーソンのようなカリスマは簡単には生まれません。

実際に彼の言動に我々はとても楽しませていただきました。

アイバーソンの名言については以下の記事にまとめています。

アレン・アイバーソンの名言を集めました

その証拠に今でもフィラデルフィアの試合を観戦するアイバーソンはいつもスタンディングオベーションで迎えられています。

今日もレブロンジェームスを始めとした彼に影響を受けた選手達が今のNBAを引き継いでいます。

-NBA
-

© 2021 ゼロステップ Powered by AFFINGER5